2010年1月20日水曜日

謎の勅令41号

勅令41号には、多くの謎があります。



◎ 65年間主張されなかった勅令41号根拠説

 勅令41の石島が独島であるとの主張は、発布されてから65年間為されませんでした。鬱島郡守の沈興沢が「独島が日本領になった」と騒いだ時も、日韓併合時代の独立運動家達も、占領軍が竹島を日本行政区域から外した時にも、韓国は勅令41号を根拠とした主張をしませんでした。
 韓国政府は、公式に、勅令41号を根拠とした主張をしたことはないのです。それは、日韓基本条約が成立した直後から、民間の学者が主張しているに過ぎません。



◎ 朝鮮の古地図が示す勅令41号の範囲

 勅令41号の内部大臣がした請議書に、鬱島郡守の管轄範囲が「縦が80里ほど、橫は50里」と記されています。
 仮に、この数字が鬱島郡守の管轄範囲を示さないとしても、立証責任を負う韓国は、その立証の機会を失ったことになります。鬱島郡守が独島を管轄したというのは、空論に過ぎないのです。



◎ 禹用鼎 鬱陵島視察



◎ 李乾夏 請議書



◎ 勅令41号



◎ 鬱島郡守 沈興沢報告書

 鬱島郡守の沈興沢は「独島が日本領になった」と騒ぎました。
 しかし、不思議なことに、「竹島が日本領になった」と告げた隠岐島司に対し、「独島は韓国領だ」と宣言しませんでした。これは、郡守に昇格した理由である「外国人が来て交易し、交際上のことも有り、島監と称するのでは行政上の障害もあるため、鬱陵島を鬱島と改称し島監を郡守に改正する。」に反する行為です。
 又、「1500年の間、韓国の東限を守ってきた美しい島」が奪われたのに、その報告が江原道に届くのに1ヶ月を要しています。



◎ 鬱陵報告内部

 これは、皇城新聞5月1日の記事と思われます。
 当時の韓国人は、西洋的領土観を有していませんから、地方官僚が「自国領だ」と言えば、それは一応自国領であるとの認識を持ったと推定できます。
 しかし、次の条件が充足される場合に限ると思います。
   外洋百余里に島が在ること。
   日本官員が、録去したデータに独島のデータが含まれていること。
   郡守が日本官員に「独島は韓国領である」と宣言したこと。
   郡守が即座に、ソウルにこの事を報告しようとしたこと。



◎ 参政大臣 指令第3号

 5月20日、参政大臣は「独島領地之説は全て無根に属す」の命令を発しました。
 しかし、この意味を判断することは難しいです。
 参政大臣は、その職務権限から、日本の意向を知らずに、「独島(日本)領地之説は全て無根に属す」との判断をすることは出来ません。すると、「独島(韓国)領地之説は全て無根に属す」との判断であったと解されます。



◎ 無変不有 (変なきに有らず)

 この記事に対する解釈は多くありますが、私は次の解を採ります。
 「独島(韓国)領地之説は全て無根に属す」ので、何事も起こらなかったのと同じと考えるのは間違いである。それは、郡守が地界戸口を録し去られるのは「容或無怪」であり、内務大臣が「独島を日本属地と云うは必無其理」と根拠の無いことを発言することにある。即ち、我が韓国は国中が弛緩して亡国の道を歩み始めたのだ。



◎ ★本邦初公開?大韓帝国勅令41号の石島は独島ではない証拠

 「統監府から内部に公照された」きっかけは、「鬱陵報告内部」という皇城新聞の記事でしょう。
 これは、5月1日の記事ですから、如何なる手続きを経て、7月13日の記事になったのでしょうか。


◎ 鬱陵島は横長か縦長か
◎ 勅令41号の石島はどこか




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