2008年7月30日水曜日

ことこどく デタラメな安龍福の供述(2)

ことこどく デタラメな安龍福の供述(2) 傑作(9)
2008/7/26(土) 午後 1:24竹島問題歴史 Yahoo!ブックマークに登録


 安龍福のでたらめな証言を検証します。前の記事(http://blogs.yahoo.co.jp/dune01220227/54222851.html)を参照してご覧下さい。

 (1)安龍福が鳥取藩に密航する4ヶ月ほど前の1696年(元禄九年)1月28日、既に幕府は鬱陵島への渡海を禁じています。それ故に、鬱陵島で鳥取藩の漁民達と遭遇することは不可能です。また、禁を犯して漁民達が処罰されたという記録もありません。

 (2)さらに、「倭船が多くいた」と証言しているが、鬱陵島に渡海する際に、鳥取藩から大谷家に発給する往来手形では、船は一艘であり、船頭以下21人の乗組員が認められていただけである。
 *朝鮮王朝の空島政策により無人島となっていたこともあって、1618年から80年ぐらいまで、江戸幕府は朝鮮領の鬱陵島を実効支配していた。それに伴い、幕府から鬱陵島を拝領していた米子藩は村川家と大谷家に開発をさせていた。

 (3)安龍福は、鬱陵島で遭遇した日本の漁民が、「我々は、もともと松島(=現在の竹島)に住んでいる」と言ったように証言しているが、松島では飲料水の確保も難しく、人の定住は困難です。安龍福は、松島がどのような島であるか、そんな事も知らないで、朝鮮領の于山島だと思いこんだと思われます。事実、安龍福は「舟を曳いて入った」とする于山島の描写でも、馬脚を現しています。

 (4)于山島では、「釜を列ねて魚膏を煮ていた」と供述していますが、大谷家と村川家が海驢から膏(あぶら)を採取していたのは、鬱陵島であり、岩礁に過ぎない松島(=現竹島)には、燃料となる薪がなく、釜を並べて魚膏を煮ることが出来る場所もありません。さらに舟を曳いて進める浜辺もない。于山島に渡った事もなく、松島もどのような島か知らないで、安龍福は「松島は于山島である。これも我が朝鮮の島である」と証言していたのです。

 (5)さらに、「翌暁、舟を曳いて于山島にはいると~」と言っている。しかし、鬱陵島から于山島(竹島)までは日本の船で一日は要します。それなのに安龍福は暁には舟を曳いて到着したと述べているという事は、彼が上陸した于山島は、鬱陵島に極近い島である必要があります。

 (6)安龍福の証言では、彼は日本人を蹴散らした事になっているます。しかし、日本の漁師船の乗組員は21人いる。そして鳥銃7丁と刀剣も所持しています。安龍福が武器を持った日本の漁民と鬱陵島で小競り合いを起こし、本当に杖で大釜を撞破したならば、日本漁師がこそこそと釜などを拾い集めて逃げ去るだろうか?という率直な疑問があります。さらに、安龍福自身が言っています。日本の漁民に遭遇した朝鮮の船人は、「皆、恐れた」と・・・。これでは、初めから勝負になりません。安龍福だけが恐れなかったとするのも、不自然です。

 (7)安龍福は、鳥取藩では藩主と対座し、そこに対馬藩主の父親が息子の命乞いに来た、と証言している。しかし、鳥取藩主・池田綱清は当時、参勤交代のため江戸にいたことは記録で明らかです。帰城したのは7月19日となっており、藩主と対座する機会はありません。父が命乞いをしたとされる対馬藩主・宗義倫は、その前々年の1694年(元禄七年)9月27日に24才の若さで病没していて、既に死去した人間(=宗義倫)の助命を願うというのは、いかにも不自然です。しかも、安龍福が鳥取藩に密航した時期には、義倫の父・宗義真は新藩主の後見役となり、参勤交代で江戸にいました。いずれも、安龍福とは対面できないのが明らかです。

 このように、安龍福は、その核心的な部分は、悉く偽りです。嘘八百を並べ立てています。

 そもそも、対馬藩は、幕府の命を受けて鬱陵島問題(=これは竹島一件といい、つまりは鬱陵島の領有問題)に関わったのであり、安龍福達を拿捕した対馬藩を通じて、朝鮮漁民達の越境を抗議させようとしていた時に、その命令を下した幕府自身が、安龍福に「鬱陵島と于山島は朝鮮領である」とする書付を与える事など有り得ません。

 それに安龍福が言う于山島は、人が住めて鬱陵島よりも頗る大きい島ですが、そのような島は、鬱陵島と隠岐島の間には存在しません。ましてや、日本と朝鮮の間で争われているのは鬱陵島であり、于山島は問題になっていません。日本と朝鮮の間では、鬱陵島の領有権も確定していない時期に、存在していない島=人が住めてすこぶる大きな「于山島」までが朝鮮領と認定される事などありません。

 安龍福は越境侵犯の生き証人として連れてこられてた犯罪人であったことを忘れてはいけません。犯罪人である安龍福が、日本でどのように発言しても、現実に越境侵犯証拠として朝鮮に送還された以上、幕府が犯罪人の安龍福に「鬱陵島と于山島は朝鮮領である」とした書状を与える事は決してないのです。

 こうしてみると、この証言のうち正しいのは、「鬱陵于山両島監税を僭称」したこと、「安龍福が駕籠に乗り、他の者が馬で鳥取の城下」に入った事だけです。

 韓国はこのようなデタラメの安龍福証言に依拠しているのです。

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