2010年2月24日水曜日

万機要覧 朝鮮前期



本朝 太宗朝、聞流民多逃入、其島再命 三陟 金麟雨 為按撫使 刷出。

本朝・太宗の時、流民らの多くが、再び其の島に逃げて入って行った、
という話を聞いて三渉の金金麟雨を按撫使に任命して、刷出させた。



世宗二十年、遣縣人萬戸南顕 率 數百人 往捜逋民、盡俘 金丸等七十餘人 而来其地 遂空。

世宗 20年、県人で万戸の南顕率は、数百人を率いて行って、
逃亡者を捜して金丸 など 70余人をことごとく捕まえて来た、その地はついに空となった。



成宗二年、有告別 三峯島 者、乃遣 朴宗元 往見之、因風濤不得到、而還。
同行一船 泊鬱陵島、只取大竹 大鰒魚、囘啓云、島中無居民矣。

成宗 2年(1471年)に、誰かが言うには、「三峰島と言う島が別にある」と告げた。
朴宗元を派遣して調査したが風濤にあって陸地に到達することができなくて帰ってきた。
同行していた一艘の船が、鬱陵島に停泊して
大竹と大きい鰒(あわび)を取って帰って来て、「島には人が住んでいません」と言った。


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