2010年2月22日月曜日

李朝太祖の「鬱陵島」認識



1392-07-30 太祖 1卷
都評議使司請前日敎書所載流放遐方者, 分徙 武陵、楸子島、濟州等處,
  上曰:
    “敎書?曰予?憫之, 今又分徙諸島, 是失信也。 且徙諸無人之地, 衣食何得? 必皆飢寒而死。
     此輩雖居畿?, 更何爲謀?”
  遂令分配諸州。
    於是, 禹玄寶徙海陽, 李穡徙長興府, 偰長壽徙長?, 其餘皆徙沿邊州縣。



 太祖の時代、鬱陵島からいかだを組んで半島に辿りつけるとは考えられなかった様です。
 鬱陵島は、自然の監獄だったのです。
 ただ、衣類は定期的に届けるつもりだったのでしょう。


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