竹島問題に関する韓国側の言い分 傑作(5)
2008/7/26(土) 午前 11:50竹島問題歴史 Yahoo!ブックマークに登録
では、韓国側の主張を打ち破るには相手がどのようなことを主張しているかを知る必要があります。
韓国が竹島領有を主張する根拠として、1770年に書かれた『東国文献備考』の一篇「輿地考(よちこう)」の中に「輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり」という記述を挙げています。于山島(うさんとう)が日本の松島だと言うのです。*松島は、昔の日本での竹島の呼び名です。
そして、韓国は于山島(国)を竹島であるとして、日本よりも先に領有していたと言いたいわけです。確かに于山島(国)の名は、古くは6世紀の『三国史記・新羅本紀』から出て、その他、『東国輿地勝覧』(1481年成立)や『世宗実録・地理志』(1454年成立)にも出てきます。
一方で、日本は松江藩藩士の斎藤豊仙が著した「隠州視聴合記(いんしゅうしちょうごうき)」(1667年)を基本的に論拠としていたので、韓国側は自分たちの方が早く領有していると言いたい訳です。
ただ、于山島=竹島(独島)との記述があるのは、『東国文献備考』だけです。そもそも韓国で、于山島は竹島であるという先入観が出来たのは、『東国文献備考』にある安龍福の供述の分註からです。しかし、『東国文献備考』での「竹島は于山島」とする干山島と、『世襲実録・地理志』や『東国興地勝覧』の于山島がそれと同一の島である証明は、なされていません。韓国が日本よりも先に竹島を領有していることを証明するためには、安龍福・証言以前に、于山島=竹島(独島)を認識していた事を示す必要があります。そうしないと、時期的に日本側の方が早くなります(安龍福が鬱陵島で日本に捕まったのは1693年)。ですが、それが出来ない以上韓国の主張は通りません。
もっとも、これは安龍福の供述(『粛宗実録』に記述がある)又は東国文献備考にある安龍福の供述の分註が正しいことから出発しています。ですから、安龍福の供述が間違っている、デタラメであることを証明すれば韓国側の根拠は一気に崩れてきます(実際デタラメですので、その論拠を示します)。また、韓国が拠り所とする『東国文献備考』の「于山島=竹島(独島)」であることの記述は改竄されていまして、その改竄の過程も合わせて示します。
そもそも、韓国が竹島を領有していたというなら、詳細な地図の一つも出てもよいものです。百歩引いて地図がなくても、竹島が2つの主島で構成されていることを示す史料がないことは韓国は竹島を(日本より先には)認識していないと見るのが自然です。韓国がいう竹島とする地図はすべて一島になっています。つまり、韓国は別の島の地図を竹島であると言い張っているだけです。ちなみに江戸時代の日本の竹島の地図は、詳細に二島からなっています。
なので、韓国側の論拠を破るべく、(別記事になりますが)安龍福の供述のデタラメさと『東国文献備考』の改竄の過程、そのほか史料の検討をしていきたいと思います。
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