2010年2月24日水曜日

万機要覧 新羅朝

新羅取之 後恐 導倭為寇 刷出

新羅は之を取った後、倭を導きいれて寇をするのを恐れて、居民を刷出した。



  「導倭為寇」とは、3世紀から5世紀にかけて、絶え間ない「倭為寇」を新羅は受けていた。これが、6世紀の初めに突然止んだので、新羅は于山国を攻めた。

  ここで言う「刷出」とは何だろうか。
  新羅の威を恐れて臣従を誓うのは、良くある話である。しかし、単なる臣従では、「刷出」とは言わないだろう。
  では、半島に移り住むことだろうか。新羅は于山国民を騙して上陸したに過ぎないのだから、降服条件に「半島に移り住め」とは出来ない。すると、「猛獣を放って、踏み殺させるぞ」が嘘であることがばれる前に、皆殺しにすることである。しかし、皆殺しにするには、高度な作戦と武力が必要であるから、皆殺しは無理であろう。

  もしかしたら、異斯夫が上陸した時、于山国は無人の地だったのではないだろうか。
  例えば、伽耶にあった日本府が滅んだので、前線基地としての于山国の存在意義が無くなり、新羅寇が予見される中、于山国人は日本に引き上げたのではないだろうか。


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