沈興沢報告書(1906年3月29日)
出典:不明
報告書号外
鬱島郡守 沈興沢報告書 内開■
本郡所属の独島は外洋百余里に在る ■■■■
本月初四日辰時量に、輪船一隻が来泊、于郡内道洞浦
而 日本官人一行が 到于官舍下野
自ら云う、獨島が今為日本領地
故に 視察に来到した ■■■■
其一行 則ち 日本島根県 隠岐島司 東文輔 及び
事務官 神西田太郎
税務監督局長 吉田平吾
分署長 警部 影山巌八郎 巡査一人
会議一人 医師 技手 各一人
其外 隨員 十余人 ■■
先は問う
戸数 人口 土地 生産多少 ■ 且問
人員及経費 幾許諸般事務を以って 調査の様で 録し去る
■■■■ 報告する ■■■■
(ここから、4月29日にした「江原道観察使署理 春川郡守 李明来」の付箋
照亮■■ 伏望 光武十年四月二十九日
江原道観察使 署理 春川郡守 李明来
議政府参政大臣 閣下
本報告は、「本郡所属の独島」から始まりますが、独島が何故本郡所属なのか、その理由が記載されていません。ソウルの高級官僚は、「外洋百余里に在る」をそのまま信用する人達ですから、現場に臨場している郡守の認識がその判断の重要な要素となります。現場の認識は、添付書類になっていたと想像できますが、具体的にどの様なものであったかを、推定するのが困難です。
日本の官員は、「獨島が今為日本領地」と言ったとあります。この様な通告が為される事は、何ら不思議ではありません。当時は、「鬱陵島が今為日本領地」との通告があっても仕方の無い状況でした。
李乾夏の請議書に、「最近、外国人が来て交易し、交際上のことも有り、島監と称するのでは行政上の障害もある」とされていますから、郡守は、当然の事として、「独島は韓国領である」と反論しなければなりません。国境辺りにある無人島のことです、日韓何れかが「当方の領土である」と通告するのは当然の起こるべきことです。郡守たる者、予見しておかねばならぬ事です。しかし、かかる反発をした事実を報告の中に含めていません。かかる反発をした事実が無ければ、領有権争いが存在しないことになります。
日本官員は、「獨島が今為日本領地。故に 視察に来到した。」と宣言し、「戸数・人口・土地・生産多少と人員及経費・幾許諸般事務を調査して、これらを録し去る。」との事です。
郡守は、独島の「戸数・人口・土地・生産多少」を記録した帳簿を有していたと考えられます。又、独島に「人員及経費」を配し、独島の「幾許諸般事務」を実施していたとも考えられます。しかし、かかる帳簿類が存していたことの証明が韓国はできていません。
又、これらの情報を日本官員が持ち帰ったならば、それは当時の日本政府の認識と異なります。島根県・明治政府は、大騒ぎになった筈です。しかし、島根県・明治政府が「郡守が独島帳簿を有していた」と騒いだ記録はありません・
日本官員の構成が長々と報告されています。
こんな情報よりも、私が知りたいのは、「本郡所属の独島」の根拠です。
郡守の報告が江原道に届くのに、1ヶ月を要しています。
半島から鬱陵島へは2日の距離であるとの情報が一般的です。しかるに、どうして、1ヶ月もの時間を要したのでしょうか。これについて、説明している論文は少ないです。半月城さんは、便船が無かったと説明しています。しかし、「1500年に渡って、韓国の東限を守ってきた、美しい島」が奪われたのですから、いかだを造ってでも、急いで報告するべきでしょう。
本報告が、半島に届くのに1ヶ月を要した事実は、「独島領地の説」が緊急性を有しないものであった証左であると言えます。
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