指令第三号 (1906年5月20日)
出典:不明
来報閲悉■ 独島領地
之説 全属無根 ■該
島形使■ 日人如何行動
■ 更為査報 ■事
来た報告はすべて読んだ
独島領地之説は全て無根に属す
該島の形使と日本人の行動の如何を更に為査報する事
参政大臣は、「来た報告はすべて読んだ」と言います。この「来た報告」とは何でしょうか。きちんと証明されなければなりません。しかるに、参政大臣が、如何なる情報に基づいて、この判断をしたのかを知ることが出来ません。
郡守が有していた独島の「戸数・人口・土地・生産多少」を記録した帳簿は、郡守の報告書に添付されていたのでしょうか。又、独島に配した「人員及経費」、独島にした「幾許諸般事務」は、郡守の報告書に添付されていたのでしょうか。全く分りません。
内部大臣は、「鬱陵島の所属島嶼が竹島と石島である。東西が六十里である。南北が四十里である。」との報告は為されていたのでしょうか。尚、漢字文化圏で「石島」と「独島」は全く異なる島と判断されます。
統監府から「鬱陵島の所属島嶼と郡廳設始月を示明せよ」との問合せは為されていたのでしょうか。
全く分りません。
参政大臣が言う「来た報告」の内容が分らなければ、「該島の形使と日本人の行動の如何を更に為査報する事」の意味を判断することができません。
日本語に「形使」はありませんが、形と使用方法と解します。そして、参政大臣が「独島の形使」を知らなかったと解することに矛盾はありません。
参政大臣が言う「来た報告」の内容が分らなければ、「独島領地之説は全て無根に属す」の意味を判断することもできません。
しかし、その職務権限から、参政大臣が、日本の意思を確認することなく、日本が「独島領地之説」を宣言するのは「全て無根に属す」とは言えません。すると、郡守の「独島領地之説は全て無根に属す」と解するのが相当です。
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